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PESの歴史

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1930年代: アナボリックステロイドの登場

1930年代、アナボリックステロイド(AAS)は医療目的で開発され、栄養失調や筋萎縮性疾患の治療に使用されました。
この時期、テストステロンの合成が成功し、アナボリック効果が認識されました。
医療分野での利用が進む一方で、その後のスポーツ界への影響が次第に明らかになっていきました。

1930-1950年代: アナボリックステロイドの開発と初期の利用

1930年代:
アナボリックステロイド(AAS)の歴史は、1930年代に始まります。1935年、ドイツの科学者アドルフ・ブーテナントとレオポルド・ルジカは、雄性ホルモンテストステロンの結晶化に成功し、この研究により1939年のノーベル化学賞を受賞しました。この発見は、AASの開発の礎となりました。

1939年:
最初の合成アナボリックステロイド、テストステロンプロピオン酸エステルが開発されました。このステロイドは、医療用途として主に男性ホルモン欠乏症の治療に使用されました。

1940年代:
第二次世界大戦中、アナボリックステロイドは、戦時中の栄養失調や体力低下の治療目的で軍の兵士に使用されることがありました。特に、テストステロンやその誘導体が使用されました。

1950年代:
1950年代に入ると、AASの医療用途が拡大しました。この時期には、ナンドロロンやメタンジエノン(ダイアナボル)などの新しいアナボリックステロイドが開発されました。

1958年:
メタンジエノン(商品名ダイアナボル)がアメリカで開発され、市場に出回りました。米国の化学者ジョン・ジーグラーが中心となり、最初は米国のウェイトリフティングチームで使用されました。このステロイドは、筋肉増強効果が強力であるため、スポーツ選手の間で急速に普及しました。

参考リンク

1950年代: スポーツ界でのAASの普及

1950年代に入ると、AASの筋肉増強効果が注目され、特にウェイトリフティングやボディビルディングなど、筋肉量が競技結果に直結するスポーツでの使用が広がり始めました。
これにより、多くのアスリートが競技成績を向上させるためにAASを利用するようになりました。

1960年代: AASの規制と倫理的問題の浮上

1960年代以降、アナボリックステロイド(AAS)の使用がスポーツ界で倫理的問題として浮上しました。特に、1960年のローマオリンピックやその後のオリンピック競技で、AASの使用が拡大しました。当時、メタンジエノン(商品名ダイアナボル)やナンドロロンなどのステロイドがアスリートによって広く使用されていました。

メタンジエノン(ダイアナボル):
米国の化学者ジョン・ジーグラーが1958年に開発し、米国のウェイトリフティングチームで初めて使用されました。この薬剤は、アナボリック効果が強く、筋肉量の増加を促進しましたが、同時に肝臓への負担や心血管リスクの増加などの副作用が問題となりました。

ナンドロロン:
ナンドロロンは、強力なアナボリック効果を持ち、筋肉量の増加と回復の促進に使用されました。特に、ナンドロロンデカノエート(商品名デカ・デュラボリン)が有名で、長期間にわたる持続的な効果がありました。

西側諸国の「タブー記録」:
1960年代、東側諸国のドーピング問題が広く報道された一方で、西側諸国でも同様の問題が存在していました。しかし、西側諸国のAAS使用に関する記録は「タブー」として扱われ、公開されることが少なかったとされています。これにより、公正な競技の確保が困難になったことが指摘されています。

1980年代: ドーピング検査の強化と事件

1980年代には、ドーピング検査がより厳格に行われるようになり、複数のドーピング事件が発覚しました。特に有名なのは、1988年のソウルオリンピックでのベン・ジョンソン事件です。

ベン・ジョンソン事件(1988年ソウルオリンピック):
カナダの短距離走選手ベン・ジョンソンは、100メートル走で世界新記録を樹立し金メダルを獲得しました。しかし、スタノゾロール(商品名ウィンストロール)の陽性反応が検出され、金メダルを剥奪されました。この事件は、スポーツ界におけるドーピング問題の象徴となり、国際オリンピック委員会(IOC)のドーピング対策強化のきっかけとなりました。

1990年代: ドーピング問題の継続

1990年代に入っても、オリンピックやその他の国際競技大会でのドーピング問題は続きました。ドーピング検査が進化する中、アスリートは規制を逃れるために新しい方法や新薬を使用するようになりました。

エリック・アポスロイド事件(1996年アトランタオリンピック):
スウェーデンのアスリート、エリック・アポスロイドは、1996年のアトランタオリンピックで陽性反応を示した数少ない選手の一人でした。彼はステロイドと他のパフォーマンス向上薬の使用が発覚し、大会から除外されました。この時期には、エリスロポエチン(EPO)などの新しいドーピング物質も問題となり始めました。

2000年代: SARMsとプロホルモンの規制

2000年代に入ると、SARMsとプロホルモンの規制が進み、多くの国で販売や使用が制限されるようになりました。
これにより、これらの製品の市場は縮小しましたが、一部では依然として違法に販売されるケースがありました。

2000年代初頭: ペプチドの普及と規制

2000年代初頭には、ペプチドがスポーツやアンチエイジングの分野で注目されました。
特に成長ホルモン放出ホルモン(GHRH)や成長ホルモン放出ペプチド(GHRP)は、筋肉増強や脂肪減少を目的として使用されました。

しかし、スポーツ界においてはドーピング規制の一環として、多くのペプチドが禁止物質とされました。

2010年代以降: PES全体の規制強化

2010年代以降、PES全体の規制が強化されました。

アナボリックステロイド、SARMs、プロホルモン、ペプチドなど、いずれもスポーツ競技において禁止される傾向が強まりました。

特にアンチドーピング機関による監視が強化され、違反者への罰則も厳しくなりました。

2000年代: SARMsとプロホルモンの規制強化

2000年代に入ると、SARMs(選択的アンドロゲン受容体モジュレーター)とプロホルモンの使用が広まりましたが、同時にその規制も強化されました。特に、競技スポーツにおける公平性を保つために、多くの国でこれらの物質の販売や使用が制限されるようになりました。

SARMs:
代表的なSARMsとして、オスタリンダ(Ostarine)、リガンドロール(Ligandrol)、アンダリン(Andarine)などがあります。これらは、筋肉増強や脂肪減少の目的で使用され、医療用途としても研究されています。しかし、ドーピング規制により、多くのスポーツ競技で禁止物質としてリストされました。例えば、2013年にはプロゴルファーのビジェイ・シンがSARMsの使用を自己申告し、その後、ドーピング規制違反の疑いが浮上しましたが、彼のケースはWADAのガイドラインに基づき最終的に処罰されませんでした。

プロホルモン:
プロホルモンは、アナボリックステロイドの前駆体として体内で活性化される化合物です。スーパー・ドロール(Superdrol)やエピスタン(Epistane)などが代表的なプロホルモンです。これらは、筋肉増強効果が強力でありながら、法的にはアナボリックステロイドとして規制されていなかったため、サプリメントとして販売されていました。しかし、2004年のアナボリックステロイドコントロール法の改正により、多くのプロホルモンが規制対象となりました。

2000年代初頭: ペプチドの普及と規制

2000年代初頭には、ペプチドがスポーツやアンチエイジングの分野で注目されました。ペプチドは、体内で特定のホルモンの分泌を刺激するため、筋肉増強や脂肪減少の効果が期待されます。

代表的なペプチド:
成長ホルモン放出ホルモン(GHRH)のアナログとして、セマレリン(Sermorelin)やテスモレリン(Tesamorelin)が挙げられます。また、成長ホルモン放出ペプチド(GHRP)としては、GHRP-2、GHRP-6、イプラモレリン(Ipamorelin)などが使用されました。これらのペプチドは、成長ホルモンの分泌を増加させることで、筋肉の成長や脂肪減少を促進します。

ペプチドに関する事件:
2010年には、オーストラリアのサッカー選手が、GHRP-6の使用によりドーピング違反で出場停止処分を受けました。この事件をきっかけに、ペプチドの使用がスポーツ界で問題視されるようになり、多くのペプチドが禁止物質としてリストに追加されました。

参考リンク

結論

PESは、その歴史とともに、医療からスポーツ、違法使用まで幅広い影響を及ぼしてきました

各時代において、技術の進展と規制の変化により、PESの利用は変遷してきました。
今後も、その使用と規制については多くの議論が予想されます。

参考リンク

参考文献